蓮實重彦氏が東大入学式の式辞で語った「齟齬」について

university-of-tokyo蓮實重彦氏が三島賞を受賞したとのニュースを目にしました。

受賞会見での「全く喜んでおりません」に代表される無粋な受け答えのせいか、あるいは高齢での受賞のせいか、例年よりこの賞が話題になっていたようです。

今回の記事では、氏に関して個人的な思いで話なんかを少し書いてみたいと思います。

入学式での伝説の式辞

もう15年ほど前の話なんですが、僕が東京大学に入った時の総長が蓮實氏でした。

浮かれ気分でのぞんだ入学式@日本武道館で、僕ら新入生を寿ぐ祝辞を読んでくれました。

もう、いろいろびっくりでした。

当時ちょっとした話題になったので知っている人もいるかもしれませんが、何を言っているか全く分からない話が延々と約1時間。

体感的には3時間くらい念仏を聞かされているような苦しみでした。念仏を聞かされてるのに地獄にいるかのような気分っていう……。

「これは大変なところに来てしまった。」

鼻息も荒く田舎から上京してきたガリ勉天狗だった僕にとっては、その鼻をへし折られる大きな衝撃でした。

齟齬を受け入れる

ただ、長い話の中で唯一印象に残っていた言葉があります。

それは「齟齬」という言葉です。

式辞の中でこの言葉が何度も使われていたように思います。

「くい違い」だとか「ズレ」を意味する言葉ですが、「世の中には色んな齟齬があるけど、それを拒絶するんじゃなくて、受け入れるのが若さであり、知性である」という主旨で使われていたように記憶しています。

この考えだけは、当時聞いていてストンと腑に落ちて、実は今でも何となく頭の中に残っています。

そして、今日久々に氏の名前を見て、彼の言っていた「齟齬を受けれる」というのは、最近の日本にとって非常に大事な示唆を含んでいるんじゃないかと感じました。

というのも、最近顕著な、自分とちょっとでも考え方が違う人を徹底的に攻撃したりする風潮、つまり齟齬感を受け入れられないというのは、極めて幼稚で、反知性的な反応に見えるからです。

蓮實氏が式辞を読んだのはもう10年以上も前ですし、当時どんな意図をもって語っていたかは分かりませんが、他者との齟齬を許容するって態度は、もしかしたら今の日本にこそ必要なことなのかもしれません。

まあ、もっと端的に言えば「育ってきた環境が違うから、すれ違いはしょうがない」っていう諦念?

いずれにせよ、これからどんどん国際化していこうって時に、ほぼ単一民族で誰もが同じ言語を使う日本人同士が些細な齟齬で揉めている暇はありません。

まずは違いを受け入れて、そこから話を始めたい。

それにしても、蓮實氏が80歳というのは驚きました。そして、今なお相変わらず小難しいおっさんだということが、ちょっと嬉しかったりもしました。

あと、このニュースに関する記事に「受賞が嫌だったら辞退すればいいのに」ってコメントがついてたりするんですけど、こういうのは、プロレスが地上波で流れなくなったことの弊害の1つなんじゃないかと思うなあ。